Marley

  • 2012/04/23(月) 02:30:18

4月20日、マリファナの日に一般公開になった“Marley”。レゲエの神様、ボブ・マーリーのドキュメンタリー映画を観て来ました。




NYではローワー・イーストサイドにあるサンシャイン・シネマだけの公開。近所にあるBAMローズ・シアターと並んで好きな映画館です。どちらも吉祥寺のバウスシアターと同じ匂いがする。3時の回に行くことにして、午前中は、思いっきり窓を開けて買ったばかりの掃除機で楽しくおそうじ。で、終わってみたらキッチンにハッパの匂いが立ちこめていました。

まじめ(?)なご近所さんが、420の主旨に沿って窓を開けてガッツリ吸ったみたいで、あー、ブルックリンにいるんだった、と実感。ちなみに、私はレゲエ好きのハッパ嫌い。……嫌い、というのは強いかな、でも、マリファナ解禁には諸手を上げて賛成しないことにしています。セオリーよりも、実生活で「やられちゃっている人」を多く見ているので、慎重に扱うべきモノだと考えていて。

……さて、映画の話です。

数年前にローリン・ヒルがリタ・マーリーを演じるというニュースが流れたので、ボブ・マーリーの映画の製作が進行中、というニュースは、俳優さんが演じるドラマになると信じていたのですが、結局、関係者の証言をもとに写真と映像で彼の軌跡を見せるという、いたって正統派のドキュメンタリー映画になっていました。

伝記『Catch A Fire』から始まって、ボブ・マーリーの関連書籍はたくさんあり、長い間レゲエ・ファンをやっている人なら、ボブの一生について、一通り知っているのではないでしょうか。私もいい線まで知っているつもりでしたが、それでも新しい発見がありました。

箇条書きで行きます。(以下、ネタばれになるので、観るつもりの人は、適当に飛ばしながら読んでください)


・ ボブのお父さんがイギリス人の白人だというのは広く知られた話ですが−−−今より、もっともっと尖っていたその昔、「ボブ・マーリーは鼻がまっすぐで肌の色が薄かったから、白人にウケた」と言い放って、ボブ信者を怒らせたことがあります、私。ハハ。−−−そのイギリス系のマーリー家は“Marley & Plant”工場を持っていて栄えていたので、ウェイラーズの活動資金を援助してもらおうとボブが訪ねて行ったものの、あっさり拒否され、その時の悔しさが“Corner Stone”の歌詞になった。→異母姉妹も出て来ます。その人が言った、「今、一番有名なマーリーはボブなのにね」という言葉が印象的でした。

・ グループとしてのウェイラーズを育てたのはスタジオ・ワンのコクソンではなくて、ジョー・ヒグス。すぐにポシャらないように2年の月日をかけて特訓した。→これ、クライヴ・ディヴィスがホィットニー・ヒューストンのデビューの準備に費やしたのと同じ期間です、ちなみに。

・ その間、ステージ度胸をつけるために、夜中の2時に墓場に行って歌うという肝試しみたいなトレーニングもあった。ボブ、バニー、ピーターはちゃんと歌いに行った。−→ジャマイカ人のDuppy(幽霊)好きをよく現したエピソードです。死者と精神的に近い文化があるのも、日ジャの共通点ですよね。

・ 初期の名曲、“Small Axe”は、コクソンやプリンス・バスターが始めたレーベル、Big Treeを切り倒す、という思いを込めて作った→スカとロック・ステディの45を集めていた時期があるので、わりと60年代のレーベルは詳しいのですが、Big Treeは持っていません。テクニークスのウィンストン・ライリーが作ったアンセル・コリンズの名曲“Double Burrell”も元々このレーベルからリリースされたようです。

・ ラジオでかけてもらうために、自分達でラジオ局周りをし、その際にはジャマイカでは珍しい野球のバットを持ち歩いていた→トレンチ・タウン出身だから、根性あります。

・ 父親としてはラフで、長女のセドラが「一日中ハッパを吸っているか、音楽をやっているかの家だったから友達を呼びづらい」と嘆いたら、「家族がいれば、友達なんていらん」と言い切ったとか。リタとの結婚式に、ピーターとバニーも呼ばなかったそうです。

売れてからの話、「スマイル・ジャマイカ」コンサートやガンマンによる銃撃、「ワン・ラヴ」コンサート、海外での成功のあたりは、まぁ、知っていることを映像でおさらいする感じです。

ほかの見所としては、フーシャー・ピンクの髪とひげで登場するリー・ペリー、その彼の若かりし時の映像(ブラック・アーク!)、ピーターが弾く、和音を押さえるだけのピアノに合わせて歌ったゴスペル調の“No Woman, No Cry”。

ザ・ウェイラーズやアイ・スリーズのメンバーはもちろん、ジミー・クリフ、ボブ・アンディ、クライヴ・チン、クリス・ブラックウェル、子供の頃の友達……それから、バニー・ウェイラー。アソシエーテッド・プロデューサーでもあるバニーの話し方がとてもチャーミングです。

ダミアン・マーリーのお母さん、シンディ・ブレイクスピアーも登場します(目がダミアンにそっくりです)。女性関係にもわりとストレートに切り込んでいるのも誠実でした。

“ワン・ラヴ”を歌いながら、そして多くの仲間と女性、子供達に囲まれながらもなんとなくボブ・マーリーという人の顔つきや歌声、リリックには孤独感がにじみ出ているよなぁ、と前々から感じていたのですが、映画を観て、父親を知らずに育ち、肌色が薄いためにのけ者にされた原体験に理由があるような気がしました。幼なじみでもあるバニーが「仲間はずれどころか、reject(拒否)されてたよ」と言ったのは、ショッキングでしたし。12歳に母とキングストンに出て、トレンチ・タウンで切磋琢磨しながら音楽を見つけ……たのはいいですが、17歳の時に、お母さんが彼を置いてアメリカに渡ってもいるんですね。で、ウェイラーズで売れだしてからもお金にならないものだから、デラウェア州に彼も行っています。ちなみに、リタ・マーリーの本で、彼女も子供の頃に母親が出奔、肌の薄い兄だけを連れて行った、という話があるので、お互い非常に分かり合えるところがあったのかも知れません。

「過酷な状況だから、ぐれるか頑張るしかない」との、トレンチ・タウン時代の友達の言葉にもグッときました。ボブは頑張りすぎるほど頑張り、最後は皮肉にも白人に多い黒色種という皮膚がんを患ってしまいます。77年に一度発見し、足の親指を切り取った方がいいという提案を無視したところ、81年に倒れた時は体中に転移していたそうです。化学療法も試みて、ドレッドが抜けたのは、私も知りませんでした。

4年もガンが体を蝕んでいるのに、アルバムを発表し、世界中をツアーし続けられたのは、彼の精神力もあると思いますが、マリファナをたくさん吸っていたからではないか、と、ちらっと思いました。抗がん作用があるので、病気の進行を遅らせた反面、痛みが和らぎすぎて本人も不調に気がつかなかったのかなぁ、と。

映画の中で、「父を知らないボブは、ハイレ・セラシエに父を見いだした」という下りがありますが、アフリカに行った際の映像を見ると、ボブ・マーリーこそが多くの人の音楽的な心のよりどころ、父親だったようにも思えて来ました。彼の歌に励まされたり、癒されたりして来た、極東の私たちも、精神的にボブ・マーリー・チルドレンなのだろうとも。

監督のケヴィン・マクドナルドは、『ラストキング・オブ・スコットランド』(怖いけれど、いい映画です)や、『ブラック・セプテンバー』を撮っている実績のある人です。『ブラック・セプテンバー』は72年のミュンヘン・オリンピックのテロ事件を題材にしたドキュメンタリーで、アカデミー賞を穫ったそうですが、私は未見。ぜひ、観てみたいです。

ラスト・シーンが少々わざとらしかった以外は(マーリー・ブラザーズを出せばいいのに、と思いました)、非常に楽しめました。日本では秋に公開になる予定があるらしいので、楽しみにしていて下さい。

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