Riddim最終号

  • 2011/02/17(木) 02:25:10

 Collector's Issueが届きました。キング・タビーが睨みを利かせている表紙以下全150ページ、すごいボリュームです。
 
 私の記事は4本。ショーン・ポール、ベイビー・シャム、マヴァードとビジー・シグナルで、どういう選考基準なのかメールをいただいた時点では「?」だったのですが、ほかの記事と照らし合わせてみて、なるべく人気爆発直前、もしくは頂上に登り詰める前の記事を選んでいるのだと納得。初インタヴューはどう転んでも面白いですよね。

 ページをめくりつつ、いろんな感慨にとらわれました。

 実は、私がRiddimに書くようになったのはほとんど偶然なのです。97年か98年だったかな、一度仕事をしたミュージック・マガジンへ里帰りの際にあいさつに出向き、そこで写真家の菊地昇さんと再会。「これからオーバーヒートに行くから、一緒に行こうよ」と昇さんが声をかけてくれ、「行こう、行こう」と、ぽかんとしているマガジンの編集者さんの尻目に、のこのこ表参道に向かったのでした。マガジンとriddimは競合誌ではなかったけれど、振り返るとかなり大胆。

 私ひとりだったら、オーバーヒートには行かなかったと思います。理由はいたってシンプル。90年代半ばまでライバル関係にあった、タキオンの出身であるのを気にしていたのです。RM(レゲエ・マガジン)にも書いていたし。それを昇さんに伝えた覚えもあります。「気にしてないでしょ」というのが昇さんの答え。よく考えたら、タキオンにいたのは2年弱だけ、それもぺ−ペーだったので、自意識過剰だったわけですが。

 ただですね、ジャパンスプラッシュ全盛期のタキオンVSオーバーヒートの闘いは冗談抜きでデッドヒートだったのです。チラシの折り込みのお願いで某スカ・バンドのライヴ会場に行ったところ、当時のマネージャーさんに、

 「うちはオーバーヒートさんと仲がいいから、どうかな」と真顔で言われたことも。

 そのバンドとは学生時代にわりと仲よくしていたので、必要以上にショックを受けたものです。

 Riddim編集長の大場さんとは、同じ頃に社会人になっており、タキオン・クルーが2、3人で大騒ぎしながらイヴェントの告知ポスターを貼りにクラブやバーを回っているとき、スパルタな(?)オーバーヒートから、顔が濃いめの男性がひとりでポスター張りをやっているのに鉢合わせをし、あいさつもしなかったのが初対面だったと思います(ちなみに先方はシャバのポスター、こちらはティッパ・アイリーでした。よく覚えてるな、しかし)。大場さんは、たぶん覚えてないだろうけれど。

 時は下って97年(頃)、昇さんが言った通り、あいさつに行ったら、石井さんはぜーんぜん気にしていない風で、

「あー、弟の話に“池城が、池城が”って出て来るから誰かと思ったら、あなただったの」

 と。弟とは、ジャパンスプラッシュのプロデューサーのソニー落合さん、akaさぶさん。もう時効だろうからあえて書くと、タキオンVSオーバーヒートの闘いの本質は、兄弟ゲンカだったのでした(だから、仲直りすると早い)。

 その当時、レゲエの取材は来日時にするか、編集部内の人が出張に行ったときに取るのが一般的で、外部ライターが海外で決行する例はほとんどなかったと思います。レコード会社さんが間に入れば別ですが、そういう規模で活動しているアーティストも少なかったし。

 それもあって、

 「私、ヒップホップやR&Bも書けます」と売り込んだところ、

 石井さんに

 「池城さんには、レゲエを書いてもらいたい」

 と言われ、それがものすごく、本当にとっても嬉しかったのです。感激、という言葉がふさわしいくらい。RMには書いていたけれど、雑誌として続くか危ぶまれていたか、ひょっとしたらもう廃刊が決まっていた時期だったので、音楽ライターとしてフリーになろうとしていた矢先に、「レゲエも仕事として成立する」という発見は、大きな励みになりました。

 初仕事は、NY特集のボビー・コンダースの取材。連絡を取ったところ、ボビーさんのスタジオがうちから15分のところにあり、徒歩で行った最初の取材となりました。

 そのうち、VPのパーティーに呼ばれたり、取材枠に入れたもらったりするようになり、自分でセッティングしながら、年に数本のインタヴュー記事を載せてもらうように。

 ほかのジャンルでは、セッティングは基本的にレコード会社と編集部が行うので、それが大変だなぁ、と思ったのは事実ですが、今になってみると、そうやって培った人脈も少なくないし、鍛えられたように思います。大場さんとは本音でやり取りできたし(と思っているのはこちらだけで、先方は言いたい放題で扱いにくかった、と思っているかもしれませんが)、読者もレゲエに詳しい前提だったので、2000字で突っ込んだことが書けた分、思い入れの深い記事が多いです。

 印象に残っているのは、唯一のヒップホップ記事だったコモンのインタヴューと、どうにもこうにも捕まらず、書き原稿に落ち着いてひねくれたラヴ・レターみたいになったシズラ、表紙になって大喜びしてくれたヴァイブス・カーテル、そして最終号に載っているショーン・ポール。初の日本のインタヴューだということで、ショーンはとても張り切ってくれて、それ以来、何がどうなっても私は彼のことを悪く書けないというおまけつき。

 これらのインタヴューだけでなく、ほかのコラムなどもサイトのバックナンバーで読めるので、ぜひ覗いてみて下さい。
 
 印刷物としてなくなるのは残念ですが、インターネットでレゲエの情報を発信してくれることを期待しています。

 自分のブログで書くのもなんですが、石井さん、大場さん、大変お世話になりました。

 想い出話は長くなりますね。最後まで読んでくれた人、どうもありがとう。