加藤学さんのこと。

  • 2011/03/10(木) 21:48:34

 2週間半前に、ジャパニーズ・レゲエ・ダンサー草分けのMどりちゃん(って書くと、いつも嫌がるのだけど…。でも、80年代にランキンさんのショウで初めて踊った人だから)が、「いる〜?」と言いながら、これを持って来てくれました。

  

 懐かしい…懐かし過ぎる『RM』(レゲエ・マガジン)。私が最初に就いた仕事がここの編集部で、2年弱しかいなかったけれど、本当にたくさんのことを教わりました。

 教えてくれたのは、初代編集長の加藤さん。レゲエが知られていない時代から熱心に追いかけ、『サウンドシステム』を立ち上げ、それが『RM』になり…。

 読み始めたら、ハマってしまいそうで、本棚にそっと置いていたのですが。

 その加藤さんの訃報が、昨日届きました。享年58歳。早すぎます。

 『RM』、タキオン・レコーズ、ナーキさんのマネージメント、ジャパンスプラッシュの開催。すごくたくさんのことをやっていたみたいですが、私がいたときは畑中社長と、プロデューサーのソニー落合さんと、加藤さんの立ち上げメンバー3人、ライターとしても活躍していた横尾さんと、あとは20代前半から半ばが7、8名という小さい会社だったのです。

 マガジン編集部は3人。隔月刊だから余裕だろうと思ったら大間違いで、赤字部門だったため、

「『RM』作りたかったら、ほかの仕事もしろ」

と言われ、私はジャパスプの広報も担当していました。

 でも、私の直属の上司は加藤さんだったわけで。

 ジャケ写を撮るのに、アルバムを床において、ライトを左右から当てて、椅子の上に乗った加藤さんが真上から撮るのに合わせて私がレコードを順次差し替えて行く…丁寧と言えばバカ丁寧、アナログと言えば超アナログなやり方で雑誌を作っていました。

 テクノロジーがまだ発達していなかったのもあるけれど、今読んでもとても丁寧な作りになっているのは、加藤さんの性格も大きかったと思います。

 お酒とハイライトとラーメンが大好きで、口がめちゃくちゃ悪くて、でも実はすごく優しい人でした。英語がそれほど得意じゃないのに、ジャマイカのアーティストにも好かれるような。「レゲエ語」はテレパシーなのかも知れません。

 念願の仕事に就いて張り切りすぎ、周りに迷惑をかけることも多かった私も、7割怒られ、2割諭され、1割ほめられながら仕事を教えてもらいました。

 体を壊してそのままフェードアウトという辞め方をしたのに、NYに来てからまた『RM』に書かせてもらうようになり、そのときはもう加藤さんは編集長でなかったけれど、里帰りして遊びに行くと嬉しそうにしてくれました。

 06年に加藤さんがプロデュースしていたMegaryuとPangがNYでレコーディング、ショウをしたときも、私は洋楽のライターなのに起用してもらいました。

「池城の記事はちゃんと読んでいる。いい仕事をしていると思う」

とせっかく言ってくれたのに、編集部時代に加藤さんから聞いていた言葉と違い過ぎるのに面食らってしまって、素直にお礼を言えませんでした。未熟でした。

 あのときは元気だったのに…。

 危ないらしい、というメールはもらっていたのですが、訃報が入ってきた途端、自分でもびっくりするほどショックを受け、大泣きしてしまいました。

 泣きながら加藤さんを知っていたMどりちゃんに電話して、「すごく応えている」と言ったら、

 「自分が好きなことを仕事にしている人ってアツいからさ、そのアツさに周りの人がみんなヤられるんだよね」

と。本当です。レゲエを語る加藤さんは、いつもアツかった。

 いまでこそレゲエの仕事をしている人は多いですが、レゲエに関わることがカッコ良くもなんともない、それどころか誤解されっぱなし、ジャマイカのアーティストにさえ怪訝な顔をされた時代からやっていて、おまけにそういう自分を宣伝するつもりが全くなかった加藤さんをはじめとしたパイオニアの人は、真の意味で、日本のレゲエ・シーンのヒーローだと思います。

 ありがとう、とか、頑張ります、という言葉では足りない人間関係ってあるんだと、いま、しみじみ思っています。